お客様連絡帳 A様 その2

本人や周囲の話をまとめると、Aさんは瀬戸内海が見える暖かい場所で生まれた。その後数回引越しするが、お父様の仕事の関係で上京と、有名なお嬢様学校に入学。在学中に戦争、学徒動員を経験。卒業後すぐに結婚して、この土地に。

ご両親からとてもかわいがられて、特に父親は女の子が自分で歩くのがかわいそうだと肩車したりだっこし続けたり、Aさんは足の発達が遅れたほどだった…というエピソードがあり、結婚相手も父上のお眼鏡にかなった優秀な人だったという。

お母様はもともと体が弱く彼女が女学生の頃に亡くなり、お父様は孫が生まれる直前に急死なさった。

ちなみにAさんの結婚相手、数十年前に亡くなったAさんの夫君は、彼を覚えている人たちからの評判は悪くない。

「大会社の偉いさんらしくていつも忙しそうだったけど、会えば挨拶してくれるし、たまには立ち話もしてくれたのよ。鳥とか動物に詳しくて、四季の移ろいの話も出来て、ごく普通の、人間味のあるいい人だったけどね」
「いつも運転手付きの車だったけど、運転手がドアを開けようとして走ってきたら『いいよ、自分でやるよ』って笑ってたりね、見ていてなんかホッとするのよ」

もちろんそれは外野からの眺めで、家族からは違う角度で見えていたかもしれない。だが、Aさんより評判がいいのは確かだった。

一方のAさんはこの土地に長く住んでいるし、今もある意味現役だが、彼女に味方してくれる人はほとんど見当たらない。
もちろんお年寄りに優しい人はたくさんいる。でも彼女をよく知ったうえで応援してくれる人、心に寄り添い共感してくれる人、そういう存在の影がない。親友とは言わないまでも、友達が一人もいないように見える。友達に関しては、過去にはいたけれど年齢が年齢でいなくなった多能性もあるが…。

息子たちの話はよく出るけれど、最近ともに何かしたという話はほとんどない。
甘やかされて育ったお嬢様が結婚後も引き続き甘やかされ、結果的に他人の心を推し量る術を身に着けられない人生になってしまった…ということだろうか?

完全に孤立しないのはとにかく出かけるのが好きで、一見さんと話すのも苦にならない性格だからか?
「考えても仕方ないことは考えないの」とよくにおっしゃるし、あまりくよくよせず何があっても気に病まない性格。良く言えば根っから明るい。それゆえか齢90を過ぎてなお健勝、今日も元気に他人をビミョーな気持にさせている…。

周囲の空気を気にも留めず、なんだかんだ言ってAさん毎日そこそこ楽しそうだ。

とはいえ最近は同じ話を二度ならず七度くらい繰り返すし、蕎麦を食べ終わったそばから「お蕎麦が来ないわ」ということもある。耳は遠いし、目もよくない。
私はほぼ毎日会うので、少しずつだが確実に老化が進むのが見て取れる。
老化それ自体仕方ないことだけれど、一人暮らしだし、ぼやを起こした過去もある。「家事が苦手なら家政婦さんを雇えばいいのに」と思うが、なぜかそういうわけでもない。本人に手配ができないなら、息子たちがやってはどうだろうと思うが、それもない。

そして認知症とともに「周囲を下々扱いする」病もどんどん進行している。お隣に座った方の職業を聞いて「あらあら、大変なだけでつまらないでしょうねえ、息子は…」は日常茶飯事だし(すごく失礼なので毎回私が突っ込まなければいけない)、この前なんて「お宅は余裕があってうらやましいわ。うちはそんなゆとりはないですね~」と謙遜する方に「それはよくないわねえ、貧すれば鈍するって本当なのよ」と真顔で返事しているし、彼女を気遣う優しいお客様ほどいやな気持ちになってしまう悪循環が生まれている。

私はそのたびに介入して「〇〇は有難いお仕事よ。Aさんもしょっちゅうお世話になっているじゃない? 」とか「余裕のある方は余裕がありますなんて言わないわよ。Aさんもそうでしょう」という。気の利いたセリフではないけれど、言わないわけにもいかないのだ。まあAさんはほとんど聞いていないが…。
料理やそばの提供ついては「食べ終わったお皿を下げない(お出ししましたよ、という証拠が目の前にあるようにする)」で簡単に解決できたが、その他については夜に向かう山で徐々に霧につつまれるような、今後どんどん状況が悪くなるような気がして、なんとなく落ち着かない日々が続いた。

続く

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