お客様連絡帳 A様 その3

そして私のもやもや感、飲食店経営者としての懸念はすぐに現実になる。

「女将、悪いけどあのばあさんがいるときは俺来ないわ」

常連さんが宣言し出したのだ。
「年だし、事情はあるかもしれないけどよ。言うこと言うこと他人をバカにしてて胸糞悪いんだよ。ばあさん昼は来ないみたいだから、ランチに寄らせてもらうわ」

この方はAさんに職業を聞かれ、ご自分の仕事の内容を説明したら「それは誰でもできそうだねえ」と言われたのだ。毎度ながらの、働いたことが一度もない人による根拠のない感想なのだが、もちろん言われた方はいい気持ちはしない。

☝この猫たちも毎度他人の職業をナメてかかっては痛い目に遭うのだが…

ランチだとお酒は飲まないか、飲んでも少しですよね…と思いつつも「すみません」と頷くしかない。そして思う。

「ばあさんがいるときは行かない」

とはっきりいう人がいるということは、口に出さず黙ってこなくなる方が確実にいらっしゃる。

少なくとも何人かが「もうあの店はいいや」と思ったはずだ。だってAさんは週に3日以上はいるのだし。

わざわざ店に来てごはんを食べるというのは、家にはない美味しさや楽しさ、ひととき心の荷物をおろしに来てくださるわけで、当然ながらお金を払っていやな気分になどなりたくはない。
その気持ちがよく分かるだけに、引き留めることはできない。
しかし常連さんがいらっしゃらなくなるのは、飲食店にとって少なくない打撃だ。

Aさんは年齢もあって少ししか食べないし、アルコールも受け付けない。一方で来なくなる人達はAさんより確実に食べて呑んで下さる。

オーナーとしてはズキズキと頭が痛い。

どうしても「出禁」の二文字が浮かんでくる。

酔って怒鳴ったり、女性にしつこく絡んだ人は出入りをきっぱり断ったことがある。そのブラックリストにAさんを加えるのか…。

しかしAさんが自分で料理できないのは本当だろう。本人もそう言っているのだし、よくスーパーやコンビニの買い物袋を持ってくるが、手がかからないお寿司やパンばかりが入っていて、自炊の雰囲気はない。ぼやのこともあって火を使いたくないのかもしれないし…。

うちを出禁にすることでお年寄りの栄養補給と脳トレの場を奪っていいものか。

もちろん他のお店もあるけれど、このあたりは数が多いわけではない。

そして容易に想像できるのが、Aさんは悪気がまったくないだけに多分よそでも同じような行動をしている。ということはよそでも鼻つまみものになっている可能性がある。
あちこちで出禁になることもないだろうが、あちこちでひんやりした対応をされている可能性は、なくはない。

そういえば開店して間もないころ、よくいらっしゃる酒乱気味の男性に手を焼き、近所の店に相談に行ったことがあった。
他の店はどう対応しているのか知りたかったのだ。
すると
「あ、あいつ?! 出禁だよ。2度と来るなって言った。出禁になる奴はね、たいがいどこでも迷惑かけてるの。お宅の対応が悪いわけじゃないよ。あいつに関しては酒飲んだら手をつけられない。気にしないで出禁にしな」
そして、本当にひどいときは警察に電話することも教えてもらった。
まあ警察はさておき、つまり、うちの出禁はよその出禁、よその出禁はうちの出禁、なのだ。 

ということはAさんも…。

そしてもちろん、うちの店を好いてくれるAさん以外の多くのお客様の気持ちも考えないと…。
しばらくもんもんと悩んだ。けれど、結局私達はAさんを出禁にしなかった。

対策としては問題発言には私がこまめに突っ込む(他のお客様の声を代弁する)。そもそも問題発言が出そうな話題を避ける。
つまり、私が頑張る。
「君の仕事が増えて悪いけど、仕方ないね。それに、最近認知症が進んで話が何回もループするだろ。自分が言ったことも他人がいったこともどんどん忘れるから、出禁だって言ってもすぐ忘れるよ。君は疲れるだろうけど…」
おばあちゃん子だった夫は複雑な表情で、とりあえずこの件を締めくくった。
そして今後の対応を考えて、私も複雑な表情にならざるをえなかった。

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