お客様連絡帳 A様 その8

そして、またいつもの日常がはじまった。
夫が作った蕎麦を運び、お皿を洗い、時折お客様とお話して、店を閉めたらレジを締めて、掃除して…私が愛する普通の毎日。普通盛りの日々。
Aさんは出禁を考えるほど困った人だった。それは事実だけれど、亡くなったのは正直寂しい。5年間ほぼ毎日会って、ほぼ毎日話し込んでいたのだから。
けれど同時に、これまでも何人もの常連さんが亡くなったり施設に入ったりで会えなくなったわけで、こうなるのは致し方ないことだとも思う。人間は致死率100パーセント、誰もが行く道。
亡くなった後に伺ったお話だって、真相は分からない。ご近所さんの優しさと、優しいがゆえの罪悪感というか、苦しいお気持ちは本当だと思う。その鈍い痛みがひしひしと伝わってきた。とはいえ、近くにいた彼女とて当事者ではないわけで、勘違いや記憶違い、思い込みがないとはいえないだろう。
そして皆さんAさんのご主人を憐れむけれど、私はご主人がAさんをどう思っていたかは分からないな…とも思っている。

確かにAさんは東大でなく慶應と結婚したかったかもしれないけれど(今となれば慶應と付き合ってひどい目に遭うくらいは人生の彩りとしてあってもよかった気もしないではないけれど)、ご主人はAさんを意外と好きだった可能性もあるのではないか。
もちろんAさん夫妻はお見合いで、幸か不幸か上司に気に入られたご主人には拒否権すら無かったのかもしれないが、 仕事柄カウンターでたくさんのカップルと話す私は、夫婦のことは他人には到底わかりえないとつくづく思っている。
私の祖父母のように、両親が勝手に決めた相手と結婚して生涯そりが合わず、飽きることなく喧嘩し続けていた…という不幸な例ももちろんあるが、逆によく知らない人と結婚したけれど相手がすごく良い人で…という話も結構聞くのだ。結婚は外野から眺めてもよく分からないし、結婚に限らずだが、本人以外に本人の気持ちは分からない。

とにかくAさんのことは、ご冥福をお祈りしつつ、ゆっくりと忘れていくよりない…。

ところが、頭では分かっていたけれど、なぜか私の心は数か月経ってもざわざわ、うろうろしていた。
理由が分からない。身内が亡くなったときもこんなことは起こらなかった。まったく、はじめての体験だ。

Aさんとはお互いに名前も知らないドライな関係。頻繁にご来店下さっていた時期も、いらっしゃらない日はそれはそれで、特に気にもとめていなかった。

店の対応としてはできる限りのことはしたつもりで、もちろんAさんのご満足には程遠かったかもしれないけれど、とはいえ私に大きな後悔が残っているわけでもない。
なのに、それなのにいつも心の底に何かがべたりと張り付いていて、剥がそうにも剥がれないような、なんとも座りの悪い時間が続く。落ち着かない。

彼女がいつ亡くなったか、正確な日にちはわからない。孤独死で、実は誰も知らないのかもしれない。とはいえ多分とうに49日を過ぎた頃になっても、私の「ざわざわ感」はいっこうに薄れる気配がない。

うーん。

何でしょう、この感じ。

気持ちが悪い…というか、収まりが悪いというか…。

これが続くのは、正直しんどいな…。

ある朝、なぜかふと、般若心経をあげてみようと思った。

以前から名前だけは知ってるお経だし、噂ではとても短いらしい。仏教系の学校では、暗記させたりもすると聞く。

そういえばあるお客様が「毎朝筆ペンで般若心経の写経をするのが楽しい」とも仰っていた。

蕎麦屋の朝は忙しいので書く時間はないけれど、唱えるくらいならできるだろう。今は幸いスマホですぐ検索できる。
まか はんにゃ はら みた しんぎょう かん じ ざい…
読んでみると、当然ながら意味は全く分からないが、中途半端に分かるより心が静まってよい気もする。
「もっと短ければいいのに」とは思ったが、とはいえ確かに長すぎはしない。

1週間ほどつぶやくように唱え続けてみると、なんだか心の真ん中あたりが落ち着いてきたような、そんな気がしてきた。

心がすっと整う…というほどではないが、少なくともざわざわはおさまる。
仏教、恐るべし。
Aさんが何教か知らないけれど、続けてみよう。
魔訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩…

しばらく毎朝無心に唱えていたが、しばらくすると今度はスマホの画面を見るのがだんだん辛くなってきた。私は遺伝的に目が悪く、光る画面が辛いのだ。
紙の方が楽だから本を買おうかと思ったけれど、そこでもまた活字を追うわけだし、本は持ち運びに嵩張るし…。

…仕方ない、覚えよう。たった262字だ。

その日から一行ずつ、覚えていくことにした。

意味がよく分からないものを覚えるというのは大変だった。しかし、あの心がざわつく落ち着かない感じには絶対戻りたくない。
うちでも店でもぶつぶつとつっかえつっかえのお経を唱え続け、約3か月ほどかかって暗記した。
よし、これでどこにいても般若心経をつぶやける。

毎朝目が覚めると寝ぼけ眼で洗濯機をまわしはじめ、身支度を整え、部屋を軽く掃除してからお経をあげる…これが日課になった。
昔から「寧子ちゃんはおばあちゃんぽい」とよく言われ(子供の頃から好物はお茶と梅干)、夫と知り合ったときも「ばあちゃんといるみたいで落ち着く」という有難いコメントをいただいた私だが、40代後半にして本格的におばあちゃんの道に入ったな…としみじみする。
そういえば祖父は神主をしていたな(前出の祖母とよく夫婦喧嘩していた人)…などと思い出したりしつつ、やっと落ち着いた心にほっと一息つく。

Aさん、そして亡くなった皆様(ざっくりしててすみません)、安らかに…。

素敵なモーニングルーティン

続く

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