お隣:
まだ十代なのにライブハウスでプロとして活躍することになったんですね。大学は?
原:
行っていました。三年生になるとゼミに入って、そこで卒論を書くわけです。
僕は一番人気のあるゼミに落ちて、就職にいいというゼミにも落ちて、ものすごい地味な社会保障論のゼミに入った。マルクスやエンゲルス、ソ連や一部ヨーロッパの制度について研究する真面目な人たちがいて、柴田嘉彦先生というこの分野の第一人者が教えてくれるところです。
ゼミ合宿で長野の善光寺に行ったとき、先生と蕎麦屋に入ったことがありました。「原君は将来どうするの?」と聞かれて、「正直迷っている」と答えたんです。養護学校の先生か、ミュージシャンか。
そうしたら「君はミュージシャンになったとして、これまで学んだ社会福祉を一切合切捨てられるか?」と。捨てられると思う、と答えました。
「逆はどう? 福祉の道を選んで音楽を捨てられる?」。
それはできない。
「だったらミュージシャンになりなさい。僕は音楽のことは分からないけれど、人間は好きなことを捨ててはいけない。親は説得すればいい」それでミュージシャンになろうと決めたんです。
母親は気を失いそうになったけど、父は喜んでいました。
お隣:
息子がミュージシャンになると言ったら、普通親は反対しますよね? でもお父さんは喜んだ。
原 :
僕は父から褒められてばかりいたんです。
子供の頃からずんぐりむっくりで、マラソン大会なんて女の子にも抜かれてクラスのビリ。
それでも「お前はあきらめないから偉い」。野球は万年補欠、それでも「辞めなくて偉い」。
高校は無理だと思ったところにまぐれで受かった、そうしたら「実力があるからだ」。
特に努力もしてないのに流れで学級委員になったら「何もしてないのにすごい」(笑)。
だから父のお陰で根拠のない自信があった。
母はね、「嘘つけ、嘘つけ」って言ってた。
僕は太っていたから幼稚園の頃からいじめられて、そうすると母が血相変えて来てくれるんだけど、基本的にトロいから小学校でも中学校でもいじられる。
多分「こいつは世渡りを教えないとダメだ」と思ったんだと思います。それで「嘘はすごい大事、嘘も方便だ、嘘をつけ」って繰り返し言われて、それを忠実に実行した。
僕はけっこういろんな人から好かれると思うんだけど、それは嘘がうまいから(笑)。
本格的な悪事はよくないけど、嘘でその場が和やかになるならいいやって。必要だったら弱ったふりとか、反省してるふりもします(笑)。奥さんには見抜かれるけど。でも処世術は、実は本当に大事だと思う。
うちは両親ともに裕福な育ちじゃないし、特に母は実の親(原さんの祖父母)がいない中で育った。
親戚にひきとられたけど家族の中で一人だけ苗字が違ってて、昔は母のいない子は母の日に赤いカーネーションじゃなくて白いカーネーションをつけさせられたっていうんですよ。
とにかくね、辛いことが多かったと思う。だから二人とも性格がすごくタフで、根っこが強い。ひどい目にあってるからこそ、人間の本質というか現実を知っているところがある。
バブル最盛期、就職しないのはバカだと言われた時代に僕がミュージシャンになるのを認めたのは…深い理由はないのかもしれないけど、僕という人間を知っていた、見抜いていたからかもしれない。
お隣 :
嘘つけって、学校では教えられませんね。
原:
僕は学生が「親の反対で音楽が続けられない」と悩んでいたら「嘘ついちゃえ」って言いますよ。
「十年後、必ず安心させるから」とか。だって明日のことすら誰もわからないんだし、本気でやりたいならどんなことをしてでも道を進むしかない。
僕が「ミュージシャンになる」って決めたときも、別に何の保証もないし、嘘というかホラというか、はったりみたいなもんです。アートってはったりなんです。のるかそるか分からないけど、それを成立させる。
ジャズなんて即興の部分も多いから、その場の流れでつく嘘ともいえる。真剣な嘘で、真面目な遊び。
お隣 :
ジャズの才能は嘘の才能…とも言えるわけですか。