原朋直さん(ジャズ トランぺッター)1

原朋直さんは言わずと知れた日本を代表するジャズトランぺッターです。
私は2008年くらいからジャズ好きな夫に連れられてジャズライブによくいっており、ありまさの開店以前から原さんの演奏を聴いて、心から尊敬していました。
そして後日原さんのパートナーだと知るクラリネット・サックス奏者の小森慶子さんのかっこよさにも感銘を受けていました。

ですのでありまさのお客様としてお二人が来店下さったときは、本当に感激したものです。
カウンター越しにいろいろとお話をさせて頂き、時には音楽スタジオに出かけて原さんのアルバムの録音の様子を見学させて頂いたりもし、現在も引き続きジャズのそして音楽の面白さを教えて頂いています。
今年新しいアルバムがリリースされますので、追加インタビューではそちらについても伺いたいと思います。


☆茶柱探検隊 記事

日本を代表するジャズトランぺッターであり、大学で多くのミュージシャンを育成する原朋直さんがご来店。
お皿を洗いながら耳を澄ましていると、お客様との楽しい会話が聞こえてきました。

親の教えは「嘘をつけ」!? 嘘から生まれたジャズのミラクル

■前編

お隣 :
実物のミュージシャンにはじめて会いました。やっぱり神童だったとか?

原 :
謙遜ではなく、ものすごく下手でした。
千葉の柏のとなりの沼南町というド田舎で生まれて、牛糞や馬糞の間を通って学校に通うようなところです。そこで小学校一年の時にトランペットを知って、どういうわけか夢中になってしまったんです。
キラキラして、音も形もかっこよくて、もうトランペットの虜。とにかく何が何でもやりたかったから、五年生になると待ちに待った鼓笛隊の入隊試験を受けて、それからずっと吹いています。
中学、高校は当然吹奏楽。部長になるんですけど、とにかく下手だった。夏のコンクールに「君は下手だから出さない」と言われたくらいで、ドボルザークの交響曲第8番でファンファーレを吹くところがあるんですけど、はじめの目立つ場所は上手い人がやって、真ん中あたりの遠くに聞こえるファンファーレを僕がやることになったんです。
特訓でもリハーサルでも成功しなくて、本番も…失敗しました(笑)。だから「出さない」っていうのも一理あるっていうか、本当に上手ではなかった。

お隣
コンクールで失敗したら落ち込みそうです。

原 :
みんなすごく一生懸命やってて、僕のせいで賞を逃したかなあ…とは思ったんですけど、正直「コンクールに命かけなくてもいいや」とも思ってて。だから謝らなかった(笑)。頭にきていた人もいたと思います。
大体部長になったのもおこぼれというか成り行きというか、ナンバーワンが転部するからお前がやれとか、そういう感じ。
部員の遅刻や無断欠席が多くて、だったら遅刻は一分ごとに罰金百円とろうとしたり。流石に金はどうなんだってOBに怒られたりして、儲かったのにね(笑)。いい加減です。でも下手だけどトランペットは大好き。
とにかく毎日練習していたら、OBで大学生ながらすでにプロとして演奏されていた緑川英徳さんが演奏会のゲストで来た時に「君、いい音してるね、君の音はジャズになる」って。でもその時ジャズを知らなかった(笑)。で「ジャズって何ですか? 何聴いたらいいですか?」って、マイルス・デイヴィスやクリフォード・ブラウンがいいっていうので柏の新星堂で買って、聴いたけど全然分からなかった。
そんな時に同じ吹奏楽部のサックスの女の子が、ジャズバンドをやろうっていうわけです。僕はその子が好きだったんで、初恋のひとですね、ジャズはよく分からないけど一緒に何かできるなら何でもいいやって二つ返事で引き受けて。五人のバンドだったんですけど、四か月かけて全員で十曲を完コピしました。
アドリブも何もわからないから、とにかく丸暗記。その女の子は耳がよくて、ピアノやベースを譜面にしてくれて、トランペットだけは僕が頑張って、でも僕は楽譜が分からないからカタカナでド・レ…って書きました。
リー・モーガン、チャーリー・パーカーとか、いわゆるドジャズ。その女の子とは恋には発展しませんでしたけど、彼女は今ミュージシャンです。

お隣 :
熱気のすごさが伝わります。

原 :
高校を卒業して、中部の知多半島にある大学に行きました。
トランペットを続けつつ養護学校の先生になろうと思ってたんです。ちなみに音大というものの存在は随分たってから知りました(笑)。
その大学でオーケストラに入ろうと思ったらオケが無い。仕方なくジャズ研に行ったら「吹いてみろ」っていうから、高校時代に完コピしたのを吹いたら「千葉から天才が来た!」って勘違いされたんです。
若い頃は演奏家の良し悪しなんて分からないですよね。すぐに名古屋のライブハウスに連れていかれた。ちょうどその頃の名古屋はジャズトランぺッターがいなくて、ピアニストの太田邦夫さんが「やろうよ」って声をかけてくれた。やるって何を? ライブってどうするの? って全然分からない(笑)。
言われた日に言われた場所に行って、汚い普段着のままですよ、リハーサルを一回やってくれたかな? ものすごい難しい曲を全部勘だけで吹いて、八割くらい合っていた気もするけど、運だよね。お店の人から「お前すげーな。ハートがあるな」って五千円もらいました。
ぐちゃぐちゃに吹いて五千円か、これは確かにすげーなって(笑)。そのバンドが話題になって、名古屋で流行ってしまったわけです。

中編に続く

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次