河村ひとみさん(日本語教師)1

河村ひとみさんは、ありまさの店主の旧友の奥様の親友、です。
店主と私が「台湾ってすごく面白いね!」と思い始めた頃、
店主の旧友が「知り合いに台湾に詳しい人がいるよ~」と河村さんをありまさに連れて来て下さいました。

以来彼女から台湾について、台湾人について、そして語学について、
経験に裏打ちされた深くて考えさせられるお話を聞かせて頂いています。

また台湾人のお友達(や、日本人の台湾に詳しい方)を続々と連れて来て下さるので、
台湾人脈も広がり、
河村さんのお陰で台湾が、台湾の人達が、ますます好きになっているこのごろです。

このインタビューでは英語と中国語が堪能な河村さんの「日本語教師」のお仕事について伺っています。

☆☆☆☆☆

会社に勤めつつ、日本語を身につけたい外国の方々に日本語を教える河村ひとみさんがご来店。
お皿を洗いながら耳を澄ましていると、お客様との楽しい会話が聞こえてきました。

「あなたなら出来る!」その言葉に押されて。ご縁が導いた想定外の天職。

お隣
日本語教師って、何ヶ国語もしゃべれないといけないんでしょうね?

河村
いえ、実は日本語教師という資格は外国語が出来なくても取得できるんです。
学習者さんは母国語をしゃべってくれる先生がいるとつい頼ってしまうので、むしろ日本語だけの方が上達が早い面もあります。
とはいえ初級の方に日本語だけというのはかわいそうなので、私の場合は必要な時は英語と中国語を使います。

お隣
すごいなあ!
日本語って、私達は普通に使ってるわけですけど、ネイティブでない人には難しいって本当なんですか?

河村
難しいですね。
まずひらがな、カタカナ、漢字が混在しています。こういう言語は世界を見回してもほとんどありません。覚える文字がすごく多い。
それから敬語。尊敬、謙譲…などの立場によっての使い分けもありますし、海外の方にとってはハードルが高いです。
そしてカタカナで書かれる外来語。英語圏の人でも理解できません。
てにをは、など助詞の使い方も大変で、これは日本人でもたまに迷う時があるくらいですよね。
逆に言うと、私達は日々無意識にすごく複雑なことをしているんです。

お隣
最近見かける「やさしい日本語」という、非ネイティブにも理解しやすい文章の案内は、そういう理由から?

河村
はい、日本語は普通の文章がとにかく難解なので。
阪神淡路大震災をきっかけに、緊急時の減災にと簡単な単語で、短い文(単文)で、要点をシンプルに伝えるものができました。
例えば「津波」という言葉を知らなくても、まず「高いところに逃げましょう」ということが伝わればいいですよね。

日本人にとって普通の場面、たとえばお店に買い物に行くとしますね。
スタッフさんは基本敬語です。それだけでも海外の人には大変なんです。
試着するとき
「お召しになりますか?」
と言われても考え込んでしまいます。
「着ますか?」
だと分かります。

お隣
確かに…。これだけ複雑だと、教えるのも一苦労ですね。

河村
でもその分、やり甲斐がありますよ!
明日もアメリカ出身の生徒さんを教えるんですが、彼は最近の日本語検定に失敗してしまって、ビザの期限もあるので次の検定は絶対落とせない。
過去問対策をしたり、スマホ対応の暗記アプリがありますから彼の覚えていない単語を選んで専用問題集を作ったり、毎日忙しいです。

お隣
それ時間外労働ですよね? 熱血教師ですね(笑)

河村
今はゲーム感覚で楽しめる語学アプリがあったり、スマホでドラマや映画を見て勉強することも、以前より簡単になりました。
教師も本やCD以外の教材をどう使いこなすか、日々勉強なんです。
とにかく一生懸命な人を見ると応援したくなるし、成果が出ると私もすごく嬉しい。
学習者さんが教えたことを生活の中で上手く使える場面を目撃すると
「やったね!」
「頑張ったね!」
一生懸命教えて
「ああ!」
と理解してくれると、私も
「ああ良かった!」
と感動します。

2021年 教えている学習者さんに誕生日を祝ってもらった

お隣
日本語教師になるために2ヶ国語も習得したんですか?

河村
それが全然そんなつもりではなくて(笑)。

もともと英語に興味があったのですが、家庭の事情で上の学校に行けず、高校を出てすぐにアパレル関係の会社に就職しました。
当時はそのまま会社員をするしかないのかな…と思っていましたが、友人が実は働きながら短大に言っていると聞き
「あ、働きながら勉強できるんだ!」
と気づいて、会社の人に教えてもらった英語の学校に行ったんです。
奈良橋陽子さんという方が作った座学でない演劇的な手法で教えるところでした。

そこで楽しく勉強していたら
「もっと本格的に勉強したいなら」
と、四谷の日米会話学院を紹介されました。

ここは戦後の外交官養成などを行った歴史ある本格派で、なんとか入試は通りましたが、入学は出来ても卒業できるのは四分の一、成績が悪いとどんどん振り落とされる超スパルタの学校です。
英語に集中したくて会社を辞め、派遣になりました。
優秀な人が多くて萎縮もしましたが、2年で卒業のところを2年半かけてなんとか卒業。

その頃は国連職員になりたいという夢があったので、そこから大学に入って政治経済を学び、でも在学中に国連の官僚的なところなどに疑問が湧いてきて…

それなら国連はやめて商人になろうと。
ちょうど派遣で働いていた貿易会社の社長が正社員にと言って下さったので、勤めることにしました。

お隣
ここからどうやって日本語教師に…??

(つづく)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次