お客様連絡帳 A様 その5

姫は、私と二人きりでいることが多くなった。
彼女は目が悪いから、暗くなりきらない黄昏時に早い夕食を食べにいらっしゃる。
杖をつき、翌日の朝食と昼ごはんである大量の食料品が入った袋を持ち、がらりとドアを開ける。

「今日も来ましたよ」

そしてそこから一時間ほど、お蕎麦を挟みつつ私達は話し続ける。

お天気のこと、広い家や庭の手入れが大変なこと、庭にあった大きな車のこと、ご自宅の調度品の素晴らしさ、最近よく行くアクセサリーショップ、そして話は突然過去に戻り、空襲や学徒動員のこと…ほぼ毎日同じ話だ。

ただ、しかし、ギャラリーがいないとお話の深さというか、ストーリーの陰影が微妙に違うことに私は気づいた。

「昔デパートの外商がよく来たって話はしたわね。旦那に『お前は外商のいいカモだ』ってよく言われたわ。実際、要らないものをたくさん買わされたの。うちが片付かないのはそういうものが多すぎるからかもしれないわね。あの人たち、本当にお上手なのよ」

「今日は帝劇、明日は三越、本当にそういう毎日だったの。でもね、つまらないわよ。本当につまらない。そのために着物を誂えたりしたけど、それっきり着なかったのが何枚もあってね。宝塚はちょっと面白かったけどね。誘われてお茶やお花もやってみたけど、私には全然よさがわからない。お友達もやっていたけど、あの人たちも本当に好きなのかしらね。勉強だと思ってやってたのかもしれないわね。お道具ばっかり増えていくのね」

「そうそう、旅行も行ったわね。飛行機が飛び始めて間もない頃にハワイに出かけたし、スイスも行ったわ。でも私は枕が変わると落ち着かないのよ。外国の食事も苦手。息子がせっかく連れてきたのに…なんて言ってたけど、無理に口に合わない料理を食べてお腹を壊したくないわよ。言葉もわからないから、おしゃべりもできないじゃない。旅行はね、たまに新幹線で京都に行くくらいが一番よ」

「趣味のひとつも見つけておけばよかった。本当にそう思うわ。毎日テレビばっかり。テレビなんてちっとも面白くないのよ。今思えば、料理も習っておけば良かったわ。役に立つことなんて全然教えてもらわなかった。私も悪いのよ、昔から面倒くさいのが苦手なの」

Aさんが面倒くさいのが嫌いなのは随分前から気づいていたし、私自身もかなりの面倒くさがり屋だ。だが、私や多くの人は嫌でも面倒でもやらざるをえない。ねえややばあやはいないし、パートのお手伝いさんを雇う余裕もない。何事も自分でするしかないのだ。しかしAさんは幸か不幸か厄介事は常に誰かがやってくれる人生だった。面倒を繰り返すことでうまくなったり、何度もやることで好きになったり、時には人から感謝されたり、そういう体験も無い。

お金に困らず、好きなことを好きなだけやればいい…誰が夢みる生活かもしれないが、生まれたときから途切れることなくその状態というのは、それはそれで大変なのかもしれない。
私はだんだん「あなた達には分からない」という彼女の決め台詞が、少し違って聞こえるようになった。

おおよその成分は自慢かもしれないが、それだけではない。このせりふには何か寂しさのようなものがものも含まれているのかもしれない。

楽しいこと、好きなことはありますか、と伺うと

「良かったのは結婚する前ねえ。野球の応援は好きだったわ。早慶戦。本当は結婚したい人がいたのよ、慶應ボーイよ。背が高くて恰好良くて、憧れのひと。野球の応援で出会ったのよ」

Aさんはとにかく恰好がいいものが好きなのだ。外車も家も慶應ボーイも。恰好いいものの話をするときは彼女の目が輝くからよく分かる。

着てくる洋服やアクセサリーも日々変わるから、華やかで美しいものも好きなのだろう。宝塚にはまれなかったのが悔やまれる。

慶應ボーイが大好きだったけれど、しかし結局は父の部下の「面白味のない東大卒」と結婚することになった。東大卒はまじめだったけれど、Aさんからしたら静かで話がつまらなく、気が合うとは言えなかったそうだ。彼が卒業した学部も「東大の中で一目置かれるようなとこじゃなかったのよ」という。この姫は何かと一言多いし、なんというか、無邪気に失礼極まりないところがあるのだ。こういうことを夫を前に口にしていなかったといいが、私にためらわずスラっとしゃべるところを見ると、あっけらかんと口にしていた気もする。

端から見たら面白味がないどころか理想的な生活を贈ってくれた夫だが(本人が亡くなってからも!)、そして前述の通り人格者だったという証言も多いが、Aさんは生まれたときかから乳母日傘で苦労が無く、父親も母親も過保護で、彼が丁寧に築いてくれた幸せも当然のものと感じてしまったのかもしれない。

「その慶應ボーイだけどね、この前銀座をふらふらしていたら見かけたのよ。つい追いかけてしまったわ。三越のあたりで見失ってしまって、声はかけられなかったけど」

常に杖をついているAさんが銀座をふらふらしていたことに驚きつつも、いろいろな意味で声をかけなくて良かったとほっとしたりした。

「 そうそう、電話も好きだったわ。でも知り合いもみんな施設に入ってね、今じゃ長電話もできないの。あなた知らないでしょ、お金持ちは早く施設に入ってしまうのよ。施設のほうがきれいで安心って言いくるめられてね、お金があるから早いうちから厄介払いできるのよ。一度知り合いが入ったホームを訪ねていったら、ぞっとしたわ。昼寝の時なんて、みんな薬飲まされて寝かせられてるの。どんなに豪華な部屋でもね、あれじゃ死んだも同然よ。だから私はあちこち出歩くの。足腰を弱らせないようにしないとね。施設なんて入りたくないの。娑婆にいたいの。だからここからうちまで歩くのも楽しいのよ」
歩くという単語で帰宅のイメージが湧いたのかもしれない、さてそろそろ帰ろうかしらね…というので、お会計をする。もうお金がよく見えないから、硬貨の種類を一緒に確認しつつ。そして立ち上がり、荷物を持つ。大概は買い物袋を二つ持ってきているので、私がそれを一つずつ手渡す。どちらも90を越えたお年寄りが持つのはどうかと思うずっしりとした重さだ。

はじめはこの重さに仰天してスーパーの配達サービスをすすめたりしたが、配達員が家の中をじろじろ見るから嫌いだそうだ。コロコロがついたカートを使っていたこともあるが、逆に歩きづらいからとこの方法に戻ってしまった。

「こんなに買って、バカみたいでしょ、戦争を知ってると冷蔵庫がいっぱいじゃないと不安なの。こんなに食べきれないわよ、いつもほとんど腐らせてしまうの。息子がすごく怒るけどね」

と、それらをえいやと持ち上げ、杖をつく。
うちの店の前は小さな段差があるから、そこに気を付けてね、と毎回いう。

「はいはい、じゃあまたね、明日も来るかもね」

この会話をほぼ毎日。何回も、何回も繰り返す。

続く

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